正月早々暴力団にレンガで襲撃された鶴田浩二
「しばらくすると再び実父からのカネの無心が始まっていた。組長の実力とはこんなものなのかと鶴田が謗(そし)っているという話が田岡組長の耳に入り、あの襲撃につながっていくんです」(同)
この事件で田岡組長は指名手配され、自首したが、結局、不起訴となった。襲撃を命じたという明確な証拠が得られなかったのだ。その後、双方が和解。関係を深めていくが、襲撃の直接の原因をつくったマネジャーは2年後に服毒自殺を図って帰らぬ人となった。
◇1953年1月 4日、秩父宮雍仁親王がコレステリン性肋膜炎のため逝去。50歳。6日、サンパウロで行われた国際陸上競技会の5000メートルで大西増夫が15分19秒6で優勝。10日、プロ野球球団の大洋と松竹が合併。セ・リーグは6球団に。