「夜の帝王」梅宮辰夫さんが貫いた“昭和芸能ダンディズム”
羽賀研二を「希代のワル」と
3年間同棲し妊娠中だった相手と婚約解消したり、銀座の高級クラブ「姫」のホステスと結婚するも半年でスピード離婚したこともある。最期まで梅宮さんと寄り添った愛妻クラウディアさんとの出会いも銀座。
「クラウディアさんとのデートでは、夜明け前にクルマをぶっ飛ばして向かう、伊豆の海だったそうです。プレーボーイといっても、素人の娘さんには絶対に手をつけないといったダンディズムを持っていた。遊びにも矜持があったからこそ、アンナが連れてきた羽賀研二を『希代のワル』と言い、交際に断固反対だったのかも知れませんね」(ベテラン芸能記者の青山佳裕氏)
晩年は「俳優が俳優らしく生きられた昭和の芸能界に引き戻したい。芸能界は大衆が憧れる世界でなくてどうする」などと、芸能界に苦言を呈していた。
私生活では孫の百々果ちゃんをかわいがり、UFOキャッチャーで欲しがった商品を取るまで、4000円もつぎ込んだことも。食通で酒豪。渋谷区松濤の豪邸から、神奈川の真鶴に移った晩年も食材を買い出しに出かけ、自ら腕をふるい、ステーキを平らげたり、酒もやめることはなかったという。
令和元年に昭和の芸能界の“顔役”が泉下の人となった。