「私は愛人を女優にしただけ」ピンク映画の創始者は言った
当時の出版社は男社会。「この子可愛い」「いい体してる」と鼻の下を伸ばし、取材に行きたい一心から、日活ネタが何本もプラン会議でかぶることもあった。
撮影所のスタジオで前張りをつけた男女が動き回るのはどことなく滑稽でもあったが、ポルノ女優は取材でも映画女優とは違っていた。質問に対する答え方もどことなくたどたどしい。大半の人は大手事務所に所属しているわけでもない。
基本的に取材は日活宣伝部の方が立ち会っていた。女優も取材に慣れると何でも話す。「同棲している彼がいるけど、ポルノに出ていることは教えてない。映画会社でバイトしていると言っている」という人もいれば、「撮影がない時はキャバレーで働いている」とあっけらかんと話す子もいて、宣伝部員が「その話は記事にしないで」と慌てることもあった。
男優も取材した。男優の多くは役者志望。食べるためにピンク映画に身を置き、次にロマンポルノからも声がかかった。
「前張りはしていますが、素っ裸で女性と絡む仕事は多少の抵抗感はありました。女優が主体のポルノ。黒子に徹しましたが、そのなかでいかに光る演技を見せられるか、ポルノ映画は次のステップへの勉強にもなりました」(取材した男優の話)