浅野史郎さん<5>課長を解かれ49日後に仲間が"追悼文集"を
1987年4月までの2年間、北海道庁で障害者施設の現場を巡り、障害に悩む人やその家族、施設の人から直接話を聞いたことが、その後の人生の財産になる。「今振り返ると、本省に戻るための仕込みの時期だったね」と笑う。
ところが、その年の5月、霞が関に戻ったときの肩書は政策課企画…
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