キリンビバレッジ 吉村透留社長(1)若い頃、醸造についての五感を身につけた
1992年10月、栃木工場に異動する。米アンハイザー・ブッシュ(AB)社の「バドワイザー」をキリンが国内生産することとなり、準備メンバーに選ばれる。AB社スタッフとのやりとりはすべてが英語。翌93年、栃木工場でのライセンス生産は始まっていく。
「栃木工場時代、冬は工場の仲間と週末スキー、またバンドを組みビアパーティーで演奏しました。よく働きよく遊んだ」そうだ。
吉村のサラリーマン人生で、最も牧歌的な日々だったのかも知れない。
しかし、楽しい時間はそう長くは続かない。94年3月、AB社ロサンゼルス工場へと赴任したからだ。氷点下でビールを一度凍らせて雑味を取り除いてから濾過する「アイスビール」を同工場で製造し、日本で94年5月から販売するプロジェクトが立ち上がった。吉村は醸造・品質責任者として、キリンから派遣されたのだ。超巨大工場に日本人は一人だけ。孤独のスタートとなるが、醸造部長とはすぐに打ち解けていったそうだ。
AB社の経営トップは、オーガスト・ブッシュ3世。超カリスマであり、自家用ジェットを自ら操縦して栃木工場にも頻繁に訪れていた。「品質がすべてだ」と、LA工場でも訴えていた。