ロシアから交易を迫られた日本はロシア南下政策への対抗が急務となった
ロシア人と日本との公的な接触は、寛政4年(1792)9月のことである。いわばロシアの使節ということになるが、陸軍中尉のラクスマンが幕府宛ての書簡を携えて、松前藩にやってきた。彼はかつて漂流してロシア領で保護された日本の貨物船の船頭らも連れてきていた。
しかし松前藩は幕府…
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