シリーズ「伴食宰相」(12)近衛文麿の孫である細川護熙総理への期待の末路

細川護熙と村山富市の2人の首相は、伴食宰相というわけにはいかない。なぜなら2人は、首相のポストに就いたということ自体が歴史的意味を持ったからだ。D群の中のこの2人について歴史的な意味を考察しておこう。
私は、細川護熙政権の誕生は歴史的な流れに沿っていると受け止めている。…
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