「“亜大式”で鍛えられた」 広島・菊池涼介が語る高校球児時代
菊池涼介(25=広島カープ)の母校・武蔵工大二高(長野)は当時、“鬼”と恐れられた当時の大輪弘之監督をはじめ、この頃はコーチも亜大出身者で固められていた。東京出身の菊池は、寮生活で「礼儀」などを徹底的に叩き込まれた。
「食堂でマヨネーズを取りたい時は、頭を下げながら『失礼致します』。遠征先では監督やコーチがいる時もあるから、上級生になっても『失礼致します』って、何度も言って醤油を取ったりしていましたね」
「亜大式」は練習も過酷だった。
「ノックの量がハンパなく多くて、平日は『30、20、10』。週末になると『100、50、30』に膨れ上がる。夏休みは『80、50、20』でしたね」
これは、内野ノックの数を指すものだという。
「100は一塁へ送球する数。これが終わったら二塁へ投げるゲッツーが50球。最後はバックホームが30球。打撃より守備練習が多くて(当時は)サードから1日何百球も送球した思い出が強い。強豪校でもこんな数やらないと思います」