球場から畑へ 元巨人中継ぎエースが亡き妻と歩む“農業の道”
3反(約900坪)ほどあった畑の種まきや収穫は全て手作業。野球選手として体を鍛えていたとはいえ、腰を曲げながらの重労働は辛い。午前5時から延々と地味な作業が続く日もあったため、「種まきの最初の頃は下ばかり見ていた。前を見ると、広大な畑の作業にやる気が失せてしまうので(苦笑)」
貯金を切り崩しながら無給だった2年間の修行を乗り切り独立すると、次なる“壁”は「販路」の問題だった。
「農業分野はまだ規制が多く、自分の作った玉ねぎや、農家に委託して作ったものを自由に売ることができない。だから、最初は販路がなくて赤字続き。自分の扱った計20トンの玉ねぎを全部廃棄しなければならないこともあった。あの時は泣くに泣けなかった」
それでもめげずに農業に携わり続けたのは、08年に41歳の若さでこの世を去った妻・広子さんへの思いがあった。
■天国の妻が見守ってくれている
「農業をやる前の04年から妻は乳がんと闘っていたのに、いつも私のやりたいことを静かに後押ししてくれた。そんな妻が天国から見守っていると思うと…諦められなかった」