プロレスラー中島洋平 メキシコ修業時代はギャラ“200円”
民宿というか、ゲストハウスみたいな日本人宿でもお金がかかって、最初は月に2万円の大部屋で他の人と暮らしてましたよ。ランドリールームにある洗濯機は1回に50ペソかかる! 試合のギャラが20ペソなのに、コスチューム洗うのに50ペソもかかる(笑い)。足元見てるな~って感じ。
それに乾燥機がないから屋上で干してると、いつの間にか宿のメキシコ人スタッフが僕のTシャツを着て、宿の廊下を歩いてる。「それ、どうした?」と詰め寄ると「僕のだよ!」とスペイン語で言うけど、北海道の熊の絵のTシャツなんですよ(笑い)。
若い男女のメキシコ人スタッフがカップルらしく、部屋の掃除の時に宿泊客の財布からお金を抜いてたらしい。でも僕は大丈夫でした。抜かれるほど持ってなかったし、危ない目にも遭わなかった。いつも同じジャージーとビーチサンダルと伸ばしっぱなしの髪とサングラスで、あっちの人より汚い格好して歩いてたんで、「こいつから取っても何も出ねえだろ」と思われてたみたい。
治安が悪くて、日本人宿の前の公園で、ホームレスがボコボコにされたり、銃声もちょいちょい聞こえたりしました。メトロは危険といわれるけど、ホームでバッグを枕にして寝てても、襲われなかった。今なら怖くてそんなことできないけど、まだ若かったから。