第1子妊娠の澤穂希 20年東京五輪で“現役復帰”の仰天情報
監督でもコーチでもない澤が“一度もプレーしない”選手として登録され、なでしこに関わる。荒唐無稽なプランにも思えるが、実は男子サッカー界で前例がある。
68年メキシコ五輪に出場した日本代表を率いた長沼健監督(故人=日本サッカー協会・第8代会長)は、ドイツ人の名コーチ・クラマー氏の通訳としても、参謀役としても1学年下の岡野俊一郎コーチ(同第9代会長)を信頼していた。
ところがメキシコ五輪に派遣する代表スタッフの人数を減らすようにJOC(日本オリンピック委員会)から言われ、困り果てた長沼監督は岡野コーチを選手として登録した。
ベンチでは常に隣に座らせ、二人三脚でメキシコ五輪を戦った。そして銅メダル獲得の金字塔を打ち立てた。このパターンを踏襲するのだ。
11年ドイツW杯優勝で一大ブームを巻き起こした女子サッカーだが、リオ五輪最終予選敗退もあり、人気は確実に陰りを見せ始めている。
これで金メダルが期待される東京五輪まで盛り上がりを見せられず、もし本大会で惨敗するようなことがあったら――。
日本女子サッカー復権のために澤穂希は、一選手として東京五輪に関わっていくのである。