ソフトB1位田中正義 156キロの“剛腕”生んだ母親の料理
横浜市鶴見区――後に最速156キロを投げる4人きょうだいの三男坊は、川崎市と隣り合う住宅街で産声を上げた。
創価高校に進学するまでの15年間、上末吉小学校、末吉中学校と地元で過ごした田中。小学生時代に所属した駒岡ジュニアーズの山田利行代表が言う。
「小学校1年生の時に入団して、徐々に力をつけていったという印象ですね。ボールも速かったですが、横浜市内の小学生の中でも飛び抜けていたかというと、そうでもない。制球も良いことは良いが、崩れると立て直すのが難しい、という投手でした」
会社員の父、淳さんも学生時代に野球歴があり、大の野球好き。地元草野球チームに入り、早朝6時から試合や練習をこなしていたこともある。そんな父に田中が影響されたのは必然だった。
小学校に入学直後、田中は淳さんに「僕も野球がやりたい」と、おねだり。そこで父子は地元にある2チームを見学した。スポーツジャーナリストの二宮清純氏が代表を務める「スポーツコミュニケーションズ」のHPに掲載された田中の記事の中で、淳さんは当時をこう振り返っている。