衣笠祥雄さんの死に思う “鉄人”と簡略化することの危うさ
■皆勤を尊ぶ精神論的な非合理性
果たして、こういう日本人に渦中の働き方改革がどれほど浸透するのだろうか。休むことは後退でも怠惰でもない。適度に休むことは人生を豊かにする、あるいはパフォーマンス向上のための積極的手段だと考える人は、衣笠さんと違って称賛されないのだろうか。
その意味において、この記録ばかりクローズアップされることには一抹の危うさを感じる。故人を称える上で必要不可欠な項目だと理解しつつも、皆勤を尊ぶ精神論的な非合理性は現代社会の潮流に反しており、過日の星野仙一逝去のときに報道を席巻した「鉄拳制裁の美談化」と同じような矛盾をはらんでいる。
また、「衣笠=鉄人」と簡略化してしまうと、彼の本質が伝わらないような気もする。選手・衣笠は通算504本塁打を記録した大スラッガーではあったが、意外にも打率3割を超えたのは1回だけで、打撃タイトルも打点王1回のみという少々粗っぽい打者だった。
そもそも身長175センチと小柄で、20代の頃には盗塁王を獲得、さらに入団時は捕手だったことを考えると、本来の彼はいわゆる大砲タイプではなかったのかもしれない。小柄ながら身体能力が高く良質の筋肉をまとっていたから、盟友・山本浩二に負けまいと無理にフルスイングをしていたのかもしれない。そんな彼の本質を知りたいからこそ、報道の大半を占める連続試合出場ネタが邪魔に思えるのだ。