阪神3位・及川雅貴 元短距離選手の母親を持つエリート左腕
及川雅貴(阪神3位)
東京から約70キロ。千葉県の北東部に位置する匝瑳市は人口約3万6000人。全長66キロにも及ぶ砂浜の九十九里浜に面する温暖な土地だ。
地元で建設業を営む父・大介さんは少年時代に野球を少々やった程度。中学以降はスポーツに熱中したことはない。母・直美さんは足が速く、中学時代は陸上の短距離選手だった。及川のバネのある投球フォームは母親の遺伝子を受け継いでいるようだ。
及川が野球を始めたのは小学3年の時。学校の体育館でバレーボールを投げて遊んでいたところを、少年野球のコーチがたまたま見ていた。キャッチボールをやらせたら「いい球を投げるな」と褒められ須賀スポーツ少年団に入団。6年の時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出された。匝瑳市立八日市場第二中に進むと、匝瑳リトルシニアに所属。及川を3年間指導した越川康弘監督が言う。
■関東全域の40校から
「体は細かったですが、中1で身長は170センチぐらいあったと思います。千葉ロッテジュニアに選抜されたぐらいですから、才能はとび抜けていました。県内では小学生の頃から有名選手で、球はめっぽう速いが三振か四球。はまったら誰も手が出ない。そんな投手でした。うちのチームは投手は大きく伸び伸び育てる方針。『四球を1個出しても、三振3つでチェンジなんだから』と言って、途中で代えることはしませんでした。制球難でしたから高校2年ぐらいで試合に出られたらという考えでした。実際、高校に入る前も本人に『試合で投げるまでに時間がかかるかもしれんぞ』と話をしましたから。最終的には横浜高に決めたわけですが、千葉県内だけで20校から誘いがあり、関東全域では40校ぐらいから誘いがあったはずです。ちなみに私が銚子商のOB(95年選抜甲子園準Vメンバー)ですから『銚子商はどうだ?』と聞いたら『興味ないです』って言われました(笑い)。応援に行くには在京球団の方がよかったのですが、甲子園がホームの阪神で頑張ってくれたらうれしいです。私は甲子園では福留(孝介)君のいたPL学園と対戦しました。知り合いを通じて電話をして『及川をよろしく』とお願いしようと思っています」