「負けろ」と願った自分を恥じたほどチームは “打倒キューバ” で一丸、完全燃焼できた
「打倒キューバ」を掲げ、アマチュア最強メンバーで臨んだ1996年のアトランタ五輪。当初は控えだった僕がスタメンで起用されるようになり、あと1敗したら敗退となる予選リーグ5戦目から流れが変わった。
「8番・二塁」で先発出場したニカラグア戦は、僕が3安打で13-6、韓国戦は1安打で14-4、予選リーグ最後のイタリア戦は3安打で12-1。1勝3敗の崖っぷちからなんとか3連勝し、通算4勝3敗で3位通過を果たした。準決勝の相手は、予選リーグで5-15と大敗を喫した米国である。
米国は因縁の相手でもあった。ロサンゼルス大会決勝では日本が勝って金。ソウル大会決勝では敗れて銀。バルセロナ大会3位決定戦では勝って銅メダルを獲得した。4大会連続での直接対決は、注目度が高いカードとなった。
自国開催とあってメジャーリーグ・ブレーブスの本拠地アトランタ・フルトンカウンティスタジアムには多くの米国人が訪れた。スタンド中から「USA」コールが起こる。球場内の雰囲気は米国一色である。
だが、日本は僕や松中信彦さん(新日鉄君津)、井口資仁(青学大)らが計5本塁打と爆発。この日の僕は2安打2打点だった。投手陣もプロの誘いを断って五輪の金メダルを目指した杉浦正則さん(日本生命)から川村丈夫さん(日本石油)の継投で11-2で快勝した。スタンドは騒然とし、決勝戦のチケットを破り捨てたり、暴れる地元ファンもいたそうだ。