森保兼任監督体制は合理的だが監督が非常に忙しいのも事実
反町氏が指揮した北京五輪代表は本大会で結果こそ出せなかったが、招集した18人中17人がA代表に引き上げられ、本田や長友佑都(ガラタサライ)らはその後の10年、A代表の主軸を担った。
言うまでもないが、東京五輪世代も同じ軌跡をたどってくれれば理想的である。そうなるように、新技術委員長は卓越した戦術眼と経験値を駆使していく――。 (あすにつづく)
○そりまち・やすはる 1964年3月8日生まれ。埼玉県出身。元日本代表MF。静岡・清水東高から1浪して慶応大。全日空に総合職として入社。93年Jリーグ元年に<サラリーマンJリーガー>として脚光を浴びた。横浜F(当時)とベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプレーして2001年から新潟、湘南、松本山雅で監督を歴任。08年北京五輪代表監督。3月29日にJFA技術委員長に就任した。