「田嶋会長と森保監督がやりやすくなるなら自分が矢面に」
2008年北京五輪の代表チームを指揮した後に湘南、松本山雅を計11年間率いた反町康治氏(56)。J1昇格請負人のイメージが強かった彼が、日本サッカー協会(JFA)の技術委員長に就任するという報が流れたのは3月のことだった。新型コロナウイルスの感染・拡大でサッカー界の活動がストップする中、新技術委員長は何を考え、どんな策を練っているのか――。
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■自転車操業
「3月から自宅に待機していたけど協会、Jリーグのウェブ会議が目白押し。資料も多いし、家の(パソコンの)プリンターのインクがすぐなくなっちゃう。だけど外に買いに行けないから、ネットでひっきりなしに注文してた(苦笑い)。特別指定選手の承認とかS級指導者ライセンスの認定などの事務処理もかなり多い。会社だと朝、行ったらハンコ待ちの書類がたまってることがあったけど、それと同じでまるで自転車操業(笑い)。本当にサラリーマン時代に戻った感じだよ」
昨年末に8年、指揮した松本の監督を退いた反町氏の去就はサッカー界の注目の的だった。2月上旬の時点では全くの白紙。松本のアドバイザーやDAZNの解説者を務める可能性もあった。そんな矢先の2月半ば、田嶋幸三JFA会長から予期せぬ打診があった。
「正直、最初は抵抗感があった。60歳までは現場でやりたいなと考えていたし、青い芝生に立って大勢の観衆の中で指揮を執るのは、何事にも代えられない部分があるからね。それでも『日本サッカーの強化、指導者養成、育成、そして普及の4本柱の舵取り役を任せたい』という田嶋さんの気持ちに応えたいと思った。自分が前面に出れば、何かあっても田嶋さんもバッシングを受けなくなるしね(笑い)。森保(一=日本代表)監督もそう。仕事がやりやすくなるんであれば、自分が矢面に立つのは一向に構わないよ」と冗談交じりながら、強い決意表明をしてみせた。
黒子に徹する
関係者の間では「ソリさんはもう現場に見切りをつけたのか」といぶかる声も聞こえてくる。
本人は「西野(朗=タイ代表監督)さん、霜田(正浩=山口監督)さんみたいに技術委員長の後に現場に戻った例もあるからね。技術委員長は責任ある立場だし、結果が出なければどうなるか分からない」という表現で現場復帰に含みを持たせた。が、今はあらゆる雑音を封印し、日本サッカー界発展のために全身全霊を尽くす覚悟だ。
ひとつ気になることがある。前技術委員長の関塚隆ナショナルチームダイレクター(ND)とのすみ分けである。反町氏が言うように技術委員長は4本柱を統括し、今後の方向性を考えていく立場である。一方の関塚氏は、A代表と東京五輪代表の強化だけに専念するという。代表強化や監督人事に携わるという点では共通している。2人がどう連携して仕事を進めていくのか? 今後の大きなテーマだろう。
「五輪とA代表の日程が重複する場合、自分が五輪、関さんがA代表に行くといった役割分担はできると思う。ただ高校総体とか全国少年サッカー大会が同じ日程なら、僕はあえてそっちを優先するかもしれない。縁の下から日本サッカーを支える黒子に徹したいというのが、今の本音です。育成や普及も課題が多いし、全体をしっかり見ていくつもりでいます」
指揮官時代のように「人前で発言する回数は減る」と本人は言う。
しかし反町氏のストロングポイントのひとつである〈発信力〉を有効活用しつつ、コロナ禍で苦境に直面する日本サッカー界を盛り上げていってほしい。 (あすにつづく)
○そりまち・やすはる 1964年3月8日生まれ。埼玉県出身。元日本代表MF。静岡・清水東高から1浪して慶応大。全日空に総合職として入社。93年Jリーグ元年に<サラリーマンJリーガー>として脚光を浴びた。横浜F(当時)とベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプレーして2001年から新潟、湘南、松本山雅で監督を歴任。08年北京五輪代表監督。3月29日にJFA技術委員長に就任した。