“人を残した”野村克也氏は教え子6人がプロの監督 そして“人を潰す”原巨人の機能不全と限界
11日に神宮球場で行われた野村克也氏をしのぶ会には、今季日本一を達成したヤクルトの高津臣吾監督(53)ら600人が参列した。野村氏は「財を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」と言っていたが、高津監督をはじめ、日本ハムの新庄剛志監督(49)、侍ジャパンの栗山英樹監督(60)ら「教え子」の6人が今もプロで監督を務めている。コーチ、裏方を含めれば、「ノムラの教え」は球界に広く伝播していると言っていい。
高津監督は会の弔辞で「野村監督は非常に言葉を大切にされる方でした」と言った。その教えは野球論にとどまらず、人生論、社会論にまで及んだ。そうした幅の広さがあったからこそ、多くの教え子の琴線に触れた。
■かつて引っ張りダコだった巨人OB
一方、野村氏が生涯、対抗心を燃やしてきた巨人はどうか。かつて、他球団は「巨人ブランド」にあやかり、三原脩、与那嶺要、広岡達朗、王貞治、森祇晶、高田繁ら巨人OBを招聘。監督や編成責任者として手腕を発揮したが、今や昔日の感がある。
それは2002年から現在にかけて、原辰徳監督(63)が長期政権を担ってから顕著になった。今季まで3期15年指揮を執り、通算1157勝(884敗86分け)をマークしているが、昨年までの14年間で16人ものFA選手を獲得するなど、その実、豊富な資金力を背景とした補強に頼ってきた部分が大きい。
野村氏は17年5月、日刊ゲンダイのインタビューでこう語っていた。
「原の実績のMVPは渡辺恒雄オーナー(現読売新聞グループ本社代表取締役主筆)ですよ。補強をしてくれた。原の実績はフロントの手柄だよ。原は若い時に苦労がない。オレは『坊ちゃん監督』と言ってるんだ、原のことを。苦労がないから、細事に小事に目が届かない」
巨人の重鎮OBである広岡達朗氏も、かねて「他球団は良くも悪くも巨人の真似をする。しかし、最近の巨人は、巨人魂というか、伝統が消えてしまったと感じる」と嘆き、コーチの指導についてもこう指摘していた。
「コーチも良くない。今の巨人で打撃を教えているのは原一人だけでしょ。コーチは何をやっとるんだと。選手にモノが言えんのでしょう」
こうした独善的な姿勢は19年からの第3次政権で「全権」を握ってから、いよいよ拍車がかかった。
宮本投手チーフコーチは責任かぶり
今季の巨人は9月から10連敗を喫するなど大失速。先発陣の中5日のローテーションを原因と指摘する声が多く出た。10月24日の最終戦を終え、借金1の3位が確定した際、宮本和知投手チーフコーチ(57)は「8月26日から中5日で(先発)投手を詰めてやるというのは私の提案で、投手コーチを含めて決めて、監督に相談したところ、OKをいただいた。私の責任。自分に責任がある」と“投壊”を懺悔し、今季限りで退任。球団社長付アドバイザーに転身となった。
吉村禎章作戦コーチ(58)も退任し、球団編成副本部長兼国際部長に就任。新たに3年契約を結んだ原監督に代わり、2人のコーチがV逸の責任を負う形で現場を去った。
14日アップされた「Number Web」のインタビューで原監督は今になって「(前略)ミヤ(宮本コーチ)を呼んで『俺はミヤとやるときに、最初にこういう風にやりたいと言っていただろ。それをやろう。5人で回して、火曜日に投げた人間が日曜日にいく。これを5人のメンバーに聞いてくれ』と言ったんですね」と明かしたが、つまり、宮本コーチは責任をかぶったわけだ。
「西武から14年にFAで加入した片岡治大三軍野手総合コーチ(38)は、自ら申し出て退団。広島、ヤクルトで指導者としての実績を残した石井琢朗野手総合コーチ(51)の能力も生かし切れず、10月に三軍コーチへの配置転換を経て、結局2年で辞められてしまった。今やコーチ陣が原監督に進言できるムードはない。後継者とみられていた阿部慎之助(42)は来季、作戦兼ディフェンスチーフコーチで、自身の監督就任は見送られた。肝いりで連れてきたコーチも機能しているとは言い難い。野村さんは多くの球団で長く監督を務めたアドバンテージがあるにせよ、原監督の薫陶を受けて他球団の指導者に転じた人間はほとんどいませんから」(巨人OB)
■「一番弱いチームでやってみなさい」
人を残すどころか、潰していると言っても過言ではない。前出の広岡氏はこうも漏らしていた。
「巨人の球団会長に『巨人が5連覇したら原を一番弱いチームにやるべきですよ』と言ったことがある。いい選手がたくさんいるチームなら、そりゃ勝てる。弱いチームの監督をやってみなさい。今の原ならとっくに負けてますよ」
補強の失敗によって借金生活で終えた今季の結果が、原監督の限界を示しているのではないか。