【追悼・池永正明氏】同級生のライバル山崎裕之氏が語る「天才投手の凄み」
「この若造、ええボールを放ってくるな」
その試合でボクは池永に3タコだった。チームも高校出のルーキーに、わずか1安打の完封負けして9三振を奪われた。
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昭和39年、ボク(上尾高)と池永正明(投手=下関商)、菱川章(外野手=倉敷工)の3人は、高校時代の実績や将来性を高く買われ、マスコミは「高校三羽ガラス」と呼んだ。ボクは東京へ、池永は西鉄、菱川は中日にそれぞれ入団した。ボクは1年目の開幕から先発で起用されたが、プロのスピードや変化球の鋭さに苦しんでいた。菱川もその年34試合に出たが、大した働きを見せることはできなかった。
ところが池永だけは、プロ入りするなり、すぐに頭角を現した。6月初めには早くも3勝目を挙げ、西鉄の投手陣を引っ張るまでになっていた。
175センチ(77キロ)と、投手として小柄だった池永の武器は、剛速球と、この年の春先に覚えたスライダーだった。
マウンド上で捕手のサインをのぞき込む池永は、ギョロッとした丸い目を見せた。全身をバネのように柔らかく使うフォームは独特だった。捕手のサインにうなずくと大きく振りかぶり、左足を上げると軸になる右足のヒザが伸び、カカトがちょっとだけ浮く。そこから下半身を低く沈め、リストを利かしたスリークオーターハンドから投げ込んでくる。初めて池永と対戦した時その速球は「グン、グン、グン」と、3段階に加速するように見えたものだ。