【追悼・池永正明氏】同級生のライバル山崎裕之氏が語る「天才投手の凄み」
シーズン途中、濃人コーチが「とんでもないヤツが西鉄に入ったな」と語っていたが、その通りだった。
池永は翌年も15勝し、3年目の昭和42年には23勝で最多勝のタイトルを取った。西鉄は池永の活躍で40年から3年連続してAクラスを確保した。3年目にして、西鉄投手陣のエースにのし上がった池永のプロ生活は、順風満帆だった。
しかし、この天才投手の選手寿命はあまりに短かった。10年で200勝、いや、250勝はできるといわれていた逸材が、プロ6年目の45年、突如球界を去ることになる。世間を震撼させた、あの「黒い霧事件」に巻き込まれたからだ。(2002年11月23日号掲載、池永氏は2005年に永久失格処分解除)
▽池永正明(いけなが・まさあき)1946(昭和21)年生まれ。山口県出身。65年下関商(山口)から西鉄ライオンズ(現西武)へ入団。1年目に20勝10敗、防御率2.27の成績で新人王。67年23勝で最多勝。同年の6完封も最多。プロ5年間の通算成績103勝65敗。防御率2.36。右投右打。
▽山崎裕之(やまざき・ひろゆき)1946(昭和21)年生まれ。埼玉県出身。65年上尾高(埼玉)からへ東京オリオンズ(現ロッテ)に入団。79年に西武に移籍。83年に通算2000本安打達成。二塁手としてベストナイン5回。84年に現役引退。右投右打。評論家として活躍している。