藤波辰爾がアントニオ猪木氏の死を悼む「プロレスのすべて、僕の人生そのもの」
昭和のプロレス黄金期を牽引したレジェンド、アントニオ猪木氏が1日、都内の自宅で心不全のため死去した(享年79)。16歳で日本プロレスに入門、猪木氏の付き人を務め、その後猪木氏が創設した新日本プロレスに旗揚げから参加し、猪木氏とともに新日本プロレスの黄金期を築いた一番弟子、藤波辰爾(68)が猪木氏との思い出を日刊ゲンダイに語った。
◇ ◇ ◇
死去当日も神奈川・とどろきアリーナのリングに立っていた。
「あまりにもショックで言葉がまとまらないですね。16歳からカバン持ちしていましたから、僕の人生そのものでしたから喪失感は否めません。試合中は自然と猪木さんの技を使っていましたね」
猪木氏に最後に会ったのは1カ月ほど前。
■筋肉は落ちた分、オーラが研ぎ澄まされた感じ
「非常に元気で、顔色もよかったです。小一時間くらいだったかな。ベッドで横になられていて、約束の時間をオーバーするほど話しました。病のせいで筋肉は落ちたけれど、その分オーラが研ぎ澄まされた感じがしました。猪木さんも僕も、昔から食べることが大好きでね。奥さんが亡くなる前は、1カ月に1回、僕と家内、猪木さん夫婦で食事会をしていたんです。『今度またあの店に行きたいね』とお話しされ、次は猪木さんのご自宅兼事務所のキッチンで家内が手料理を振る舞う約束をしました」
藤波にとって師匠はいまだに神だという。
「16歳で入門した時から猪木さんへのあこがれは変わりません。猪木さんの前では背筋がピーンと伸びて、冷や汗が出るほど緊張しましたよ。周りからは、『藤波さん、なんでそんなに緊張するんですか?』って言われるけど、緊張感は変わらない。リング上ではあれだけ殴り合っていたのにね、昔のクセは抜けないんです。病気で弱ってしまっても、目の前にすると何も言えなくなる。最後までオーラがありました」
猪木氏の凄さとは?
「常に燃える闘魂がみなぎっていて、プロレスの感性は右に出る者がいないですし、猪木さんについていけば間違いないと有無を言わせない、存在自体がカリスマです」