藤波辰爾がアントニオ猪木氏の死を悼む「プロレスのすべて、僕の人生そのもの」
16歳からカバン持ち
付き人時代のことは、今でも覚えている。
「猪木さんのカバンを汚れないように持つわけですよ。また、いい革なんです! 猪木さん、(ジャイアント)馬場さんの背中を流したこともありました。当時は社用車なんてないから、全国各地を列車で移動。駅に着くと黒山の人だかりができていて、そこに葉巻をプカーッと吹かせた馬場さんが現れる。お客さんは、すごいまなざしで見とれてましたよ。あの光景を見たのは僕だけだから、自慢です」
プロレスのみならず生活のすべてを猪木氏から教わった。
■高級ブランドをいち早く取り入れ、着こなしも一流だった
「ファッション、食、テーブルマナーも教えてもらいました。道場と私生活では当然、見せる顔が違いますけど、僕はその両方に触れられたのは人生の財産です。猪木さんも(ジャイアント)馬場さんもほんとにおしゃれで、GUCCI、そのあとはCELINE……日本ではまだ着る人がいなかった高級ブランドを、いち早く取り入れ、着こなしも一流だった。僕も家内から姿勢や立ち方を注意されたけど、猪木さんも倍賞美津子さんと一緒だった頃は、周囲にどう見えるか奥さんに言われて直したところがあるんじゃないかな(笑)。昔のレスラーは奥さんの存在が大きいかもしれないですね」
19年から心アミロイドーシスを患っていた猪木氏。筋力も低下、心機能に障害を起こす難病だが。
「帰るとき、自分で歩行器を使って玄関まで歩いて見送ってくれました。それにはもう僕も周りもびっくりしちゃって。最後の別れになりましたがあの毅然とした姿は目に焼き付いています」
今後はどう新日本プロレスを牽引していくのか。
「猪木さんはプロレスのすべて、僕の人生そのものですから、心の中で生き続けていくでしょうね。猪木さんが語っていた『迷わず行けよ、行けばわかるさ』を胸に突き進むだけです」
1日の神奈川・とどろきアリーナのリングでは追悼の10カウントゴングが行われた。
(取材・文=伊藤雅奈子)