【追悼】「選挙運動で聖火リレーを!」行動力あるアイデアマンだった猪木さんは、理論的で哲学的な人でもあった
小、中学生時代にプロレス少年だった私は、熱烈な猪木信者だった。大学卒業後に当時の日本体育協会(現日本スポーツ協会)に入り、その後、JOC(日本オリンピック委員会)に移った私をアントニオ猪木さんと引き合わせてくれたのは、1956年メルボルン五輪のレスリング62キロ級の金メダリストで、後にレスリング協会の会長になる笹原正三さんだった。
89年にその笹原さんから呼び出された。「猪木を手伝ってやってくれないか」。猪木さんはこの年、スポーツ平和党を結成。参議院選に出馬することになっていた。同党が掲げた理念は「スポーツを通じて国際平和」。オリンピズムと同じだった。JOC職員だった私は勇んでお手伝いすることにした。
「選挙運動で聖火リレーをやりたい。聖火を持って全国を回り、スポーツを通じた平和の実現を訴える」
オリンピズムは、政治からの自律が一丁目一番地。選挙運動に聖火リレーを利用するわけにはいかない。オリンピズム原理主義者の私もさすがに猪木さんにNGを出すのはきつかったが、代わりに握手リレーを提案し、猪木さんは全国を遊説した。