メキシコ五輪のメイン会場の控室には酸素ボンベが設置されていた
1968年メキシコ五輪のアジア予選(67年9月27日~10月10日)を突破した後、長野・伊那市の入笠高原(標高1900メートル)で初めて高地トレーニングをやった。
メキシコ五輪では標高2000メートル超のスタジアムでプレーすることになる。平地よりも酸素が80%ほどの薄い…
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