「チェルノブイリの祈り 未来の物語」スベトラーナ・アレクシエービッチ著、松本 妙子訳/岩波現代文庫(選者:稲垣えみ子)
残酷さにもかかわらず読後感が爽やかなのはなぜだろう
「チェルノブイリの祈り 未来の物語」スベトラーナ・アレクシエービッチ著、松本 妙子訳
本書は1997年に刊行され世界約30カ国で読まれており、著者は10年前にノーベル文学賞を受賞。要するに、知ってる人は知っている有名作。私も存在は知っていた。なのに読んでいなかった。なぜ? 正直言うと、わざわざ読むほどのことかしらと思ったのだ。もっと正直に言えば「どこかで見たような」原発の話だろうと決めつけていた。全く違った。大間違いであった。私は何も知らなかった。本当に何一つ知らなかった。いったい何を知らなかったのか? それすらも知らなかったのである。
86年のチェルノブイリ原発事故で485の村や町が失われたベラルーシ。ジャーナリストである著者は事故直後から何度も汚染地に通い取材を重ねた。だが人類史上誰も経験したことのない巨大事故の惨禍はどうしても捉えられぬ謎だった。緊急報告ではない、事故があらわにした本当の何かを解き明かすには10年の歳月と300人以上へのインタビューが必要だった。
本書の構成は全くシンプルだ。惨禍に巻き込まれた人々の証言がひたすら並ぶ。事故直後に現場出動し急死した消防士の妻、立ち入り禁止の自宅に戻り自給自足で暮らす老農民、英雄的行為を求め危険地帯に向かった兵士、汚染土を剥ぎ取り続けた作業員、病む子供……誰もが何が起きたのかわからぬまま駆り出され、移動を命じられ、何かを信じ、裏切られ、騙し、騙され、差別され、諦め、怒り、障害を負い、死にゆく家族や仲間を思い、自分たちはなぜこの苦しみを背負ったのかと永遠の問いを抱えて今を生きている。
私が痛感したのは、我らはとてつもなく残酷な時代を生きているということだ。快適な暮らしを求めた人類は、高度で巨大なシステムに頼って生きることが普通になった。そのシステムは、いったん暴走を始めると誰にも止められない。止めようとすれば人命を含むあらゆる犠牲を投じることになる。それでも本当に止められたかは誰にもわからない。
だがその残酷さにもかかわらず、読後感が爽やかなのはなぜだろう。私は登場する人全てを好きにならずにいられなかった。誰もが絶望しながらも、何とかして生きている。人生を根底から覆した理解し難い何かと必死に向き合い、ジョークを飛ばし、障害を抱えた子どもに希望を託し、残酷な死を迎えた愛する人との思い出を抱きしめて生きている。それは、残酷な現代を生きる我々が取りうる最上級の態度であるように思われる。 ★★★