釜本邦茂が自ら語る「ガマッチョ」と呼ばれるようになった由来
メキシコ五輪の3位決定戦・メキシコ戦を振り返る前に、今回の連載のタイトル「ガマッチョ」について話してみよか。
それなりにサッカー界で名を成せたのは、まずは頑強な体を授けてくれた両親のおかげや。心から感謝せなアカンな。
1909年に奈良・橿原市で生まれた父・正作は、身長が175センチちょっとあった。父の3年後に奈良・桜井市に生まれた母・よしこは160センチくらい。その当時、際立って大柄な夫婦やった。
釜本家と地主だった母の実家・森家は親戚の間柄。いとこ同士の結婚と聞いた。関西大で勉強しながら弁護士を目指していた父は、夢を諦めて34年に京都市で警察官になった。38年に兵役について中国戦線を戦い、42年に陸軍中尉で除隊して帰国。京都・太秦の三菱重工業京都機器製作所の青年学校教官に職を得た。
子どもは長男の幸和に次男の欣晃、長女の美佐子に3歳離れた三男坊の邦茂、次女の利恵子の5人。京都商業高でテニスをやっていた一番上の兄が、周囲から「ガマ」と呼ばれて一目置かれる存在やった。いつしか自分も「ガマ」と呼ばれるようになり、中学以降もずっと「ガマ」やった。