松井秀喜を担当、星稜・山下監督と親交を深めた寿司とジュースのノンアル野球談義
甲子園で5打席連続敬遠の伝説をつくった星稜高の松井秀喜(巨人など)は、1992年ドラフトで巨人、阪神、中日、ダイエーの4球団による競合の末、巨人の長嶋茂雄監督(当時)が当たりくじを引いた。
この年のドラフトで西武は、東芝の左腕・杉山賢人を1位指名したため松井は指名しなかったが、鈴木は松井担当として、星稜の練習や試合を視察、調査をした。
以前から同校の山下智茂監督とは、つながりがあった。
「84年ドラフトの湯上谷竑志(南海)、90年ドラフトの村松有人(ダイエー)など、星稜には何人か候補がいました。山下監督は45年生まれで、私の2級上。山下さんは石川の門前高校、僕は長野の塚原天竜高校出身。同じ北信越の生まれで地元の話をするところから始まって。年も近かったですし、何度か山下さんの自宅近くにある行きつけのお寿司屋さんやホテルのバーに連れて行ってもらって、野球談議をさせてもらいました」
山下監督も鈴木も、普段から酒を口にしない。
「バーではいつもジュースで乾杯です(笑)。山下さんは昔からとても勉強家で、僕が見聞きしたことや他校の様子などを話していると、気になったことはペンを取り出して必ずメモをする人でした。選手の指導に関することや、野球の考え方、僕自身も勉強になりました。グラウンドでも必ず、メモをしていたのを見たことがある。これは凄い監督になるだろうなと思っていました。松井の時も、ほとんど野球談議や世間話しかしていません。ひとつ覚えているのは、松井があまりに打球を飛ばすもんだから、外野にネットを立てたこと。ただ、石川は冬に雪が降るから、ネットの高さに限界があるんだ、って話でした」