巨人にフラれた清原和博の西武入団顛末 1位指名直後に根本管理部長と岸和田の実家に飛んだ
「KKドラフト」と呼ばれた1985年11月20日のドラフト会議。西武は、史上最多の甲子園通算13本塁打を放ったPL学園高(大阪)の清原和博を1位指名した。鈴木が担当したこの怪物は、阪神、中日、日本ハムなど6球団の競合となった。
根本陸夫管理部長が当たりクジを引いた瞬間、学校のテレビで会議の様子を見ていた清原は、人目をはばからず涙を流した。
清原の意中の球団は巨人だった。鈴木は「本人はもちろん、家族も巨人に行くものだと思っていたはずです」と述懐する。
ドラフト会議は東京・飯田橋のホテルグランドパレスで午前に開かれた。会議が終わるや、鈴木は根本氏と新幹線に飛び乗り、大阪・岸和田の清原の実家へ指名挨拶に向かった。
「事前に実家訪問をPL学園に連絡し、了解を得たうえで訪問しました。清原は学校から帰っておらず不在で、途中、弟さんが学校から帰ってきた記憶があります。根本さんが両親に『指名させていただきました』と挨拶をして、僕はその横でただ座っているような状態。意中の巨人ではなく、ウチが指名したうえに、巨人は、早大に進学すると言っていた同級生の桑田真澄を1位指名した。相当驚いていたはずで、まともに話ができる状況ではありませんでした。たしかお茶も出たと思うんですけど、しばらく沈黙が続いて。湯飲みに口をつける余裕すらない。たしか30分くらいいたのかな……。重苦しい雰囲気もあって、家を出た後のことは全く覚えていません」