番長・三浦監督の正体《サラリーマン、公務員の鏡のような人格》…一般人とも積極的に交流、堅実かつ誠実
チームを26年ぶりの日本一に導いた三浦大輔監督(50)。勝率.507の貯金2からの日本一はNPB史上初だ。
史上最大の下克上を成し遂げた指揮官は1991年、高田商(奈良)からドラフト6位で入団。通算25年で535試合に登板し、172勝184敗。歴代18位の3276投球回を記録したタフネスだ。
1998年日本一監督の権藤博氏は日刊スポーツの手記で、「横浜一筋、先発一筋で、勝っても負けても黙々と投げ続けた男」と称した。制球重視の堅実な投球スタイルと合わせて、「安定感」という言葉がピタリと当てはまる投手だった。
「番長」というニックネームと「リーゼント」の風貌とは裏腹に、「サラリーマン、公務員の鑑のような人」と言う関係者は少なくない。
現役時代は球場に一番乗りし、音楽を聴きながらハマスタをランニングするのが日課だった。監督になった今もホームでは朝9時には球場入り。トレーニングなどをこなして実務に入る。
古株のOBが言う。
「98年日本一メンバーは佐々木、石井琢、谷繁らクセモノ揃いにあって、三浦は人柄の良さはさることながら、選手同士で徒党を組まないし、後輩に自分の考えを強要することもない。来るものは拒まず、去る者は追わずのスタイル。音楽、競馬、芸能、一般人とも積極的に交流する。堅実かつ誠実で、波風が立つような言動もない。マルハからTBS、DeNAと親会社が変わる中、横浜一筋でやっているのはこの三浦と同時期に活躍した川村丈夫くらい。自分の立場をわきまえ、誠実に仕事をこなすサラリーマン、公務員のような一面がある。2008年オフ、FA宣言しながら阪神に行かなかったのも、そういう人格が影響していると思う」