私が殿堂入り捕手の谷繁元信と二人三脚でやったこと…リードの未熟さや配球の稚拙さはベンチがカバーできる

5日に名古屋市内で開かれた、谷繁元信の「野球殿堂入りパーティー」に行ってきた。27年に及ぶ現役生活で残した彼の功績は改めて振り返るまでもないが、プロ野球記録でもある3021試合出場はやはりとんでもない数字だ。それも、肉体的にも精神的にも負担の大きい捕手での達成だから、価値がある。
初めて同じユニホームを着たのは、私が横浜(現DeNA)のバッテリーチーフコーチに招聘された1997年。彼は高卒9年目の26歳、正捕手の座を奪い取って間もない頃だった。
中日や近鉄でのコーチ時代と同様、試合が始まると私は、プレーボールの1球目から最後まで、ベンチから捕手の谷繁に配球のサインを送った。私が翌年、監督に就任して2000年限りで退任するまでの4年間、全試合でそれを続けた。
結果の責任はベンチが負うとの信念があったからだが、谷繁には「オレがベンチから全球、サインを出す。ただし、必ずしも従う必要はない。それは、違うだろうと思えば、自分の感性を優先しろ。打たれたらオレの責任」と言い添えた。
例えば
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