「転生の魔」笠井潔氏
哲学的主題を取り入れた本格ミステリーの矢吹駆シリーズや吸血鬼一族が跳梁する「ヴァンパイヤー戦争」シリーズなどでファンを魅了する小説家である著者。連合赤軍事件を内在的に捉えた「テロルの現象学」や〈21世紀精神〉について考察した「例外社会」などで鋭い理論を提起する思想家であり、さらにはSFや探偵小説を論じる評論家でもある。
本書はそんな著者の〈私立探偵飛鳥井の事件簿〉シリーズの14年ぶり刊行となる最新作だ。
2015年、国会前の安保法案強行採決に抗議するデモの映像に、43年前に失踪した女性とうり二つの顔が映っていた。その女性の捜索を依頼された飛鳥井だが、調べていくうちに秘められた全共闘時代の歴史の闇が浮かび上がってくる――という著者ならではのミステリー巨編だ。
本格ミステリーの印象が強い著者だが、あえてハードボイルド風の私立探偵を主人公に据えたのはなぜか。
「矢吹駆シリーズというのは基本的にはフランスが舞台で、時代設定は1970年代後半と限定されています。そうすると、日本の同時代の社会問題を扱うことができない。そうしたものをミステリーとして書きたくなったというのがひとつ。それから、駆には生活のにおいというのがまったくないので、今度は自分で稼いで暮らしを立てるという人間を主人公にしてみようと思ったんです」
シリーズ第1作の「三匹の猿」(1995年)では、88~89年の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」が背景となっていたが、今回は先述の国会前の抗議デモを発端として、それが60年代末~70年代初頭の反民族差別運動や「反日武装闘争」の問題へつながっていく。
「このところ〈68年〉を歴史化する学者の研究書なども出ていますが、やはり当事者の立場からきちっとこの問題を伝えておきたいという思いがあったんです。それも、評論や体験記ではなくミステリーという形で、この問題を扱うことができるか、その試みでもあったわけです」
主人公の飛鳥井は、著者と同年齢という設定。第1作では40代後半だった飛鳥井も本作では70歳目前。
「基本的には、どんな登場人物も作者の分身であるわけですが、もう少し限定的に作者=主人公という等式が成立する場合もある。自伝小説とか私小説というのがそうです。ところが、われわれの世代は、『私小説こそ諸悪の根源だ』という戦後文学者たちの意見を浴びて育ってきた。それでも、矢吹駆の連作や『ヴァンパイヤー戦争』といった作者からかなり懸け離れた主人公を書いた後に、自分と等身大の主人公というものに興味が湧いてきたんですよ。では、作中人物に作者自身を投影した、いわば自伝的な要素がある小説という形式ではなく、どうやって書いていけばいいのか。そこで生まれたのが、この飛鳥井なんです」
60代後半の私立探偵というと、足腰が弱って、ちょっと走ると息を切らし……といったイメージだが、飛鳥井にはそうした老いの影は皆無。そう思って目の前の著者を見ると、なるほど、確かに等身大だと納得。
「それでも目が悪くなって老眼鏡をかける場面は出てきますけどね。ただ、身体的にはともかく、この年になるとパソコンでいうメモリーの容量が少なくなる。ミステリーというのは、いくつもの伏線を張りながら、同時に異なった事柄を考えながら書いていかなければいけない。それが結構大変で、メモリーの容量が少なくなるとその作業がしんどくなってくる。それがどこまでいけるか……」
現在、矢吹駆シリーズの完結となる第10作を執筆中。その強靱な執筆力は当分衰えそうもない。ぜひとも、後期高齢者となった飛鳥井を読んでみたい。
(講談社 2000円+税)
▽かさい・きよし 1948年、東京生まれ。1979年、デビュー作「バイバイ、エンジェル」で角川小説賞受賞。以後、ミステリー、思想評論、探偵小説論など幅広い分野で活躍。主な著書に、「サマー・アポカリプス」他の矢吹駆シリーズ、伝奇ロマン「ヴァンパイヤー戦争」シリーズなど。