「山へようこそ」石丸謙二郎氏

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 俳優の石丸謙二郎氏が、人生初となるエッセーを上梓した。「世界の車窓から」のナレーションを彷彿させるやわらかな文体でつづられているのは、山登りの魅力とそのノウハウ。実は著者、山歴50年の大ベテランなのだ。

「大学生の頃、新田次郎さんの『孤高の人』を読んだことがきっかけとなり、主人公の真似をしてひとりで山に入る単独行で槍ケ岳などに登り始めました。むちゃをして高山病になったりもして、何と若くて無知だったことか」

 本書では、山に必要な道具から山に入る前のストレッチ、誰と行けばいいのか、山小屋でのマナーなど、山登りに役立つ情報が満載。木綿のシャツは温かいが汗が乾きにくく重いため登山には不向き、帽子などの落とし物を見つけたら山小屋に持っていくのではなく、近くの木の枝に引っ掛けておくのが親切など、山を知る著者だからこそのかゆいところに手が届くアドバイスがうれしい。

 とりわけ、中高年の登山初心者が初めの一歩を踏み出すために本書を役立ててほしいと著者。最近は体力も衰えてきたし……などと二の足を踏む必要はない。むしろ、中高年になるまで山登りをしなかった人はラッキーだと言う。

「初登山のときにはヨレヨレになるかもしれないが、山は登れば登るほど、少しずつ、しかし確実に筋力が鍛えられてきます。1カ月単位で体が変わってくるのが分かり、1年もすれば自分の成長を如実に感じて、まるで学生時代に戻ったように力がみなぎる感覚を味わえます。これは、中高年になってから山登りを始めた人ほど実感できるはず。僕なんかは若い頃から登っているから、“昔はもっと行けたのに!”と衰えを感じるばかりで悲しくなります(笑い)」

 役者を目指して上京してからは、山から離れていた時期もあったという。役者たるもの、自分を解放するような遊びなどもっての外という空気があったためだ。しかし50歳を目前に控えた頃、福島県の磐梯山に登り、抑えていた山への欲求が爆発。以降、年間30回ほどのペースで全国の山を目指す日々だ。

 若い頃とは一変し、現在は仲間と共に登り、野鳥の声を録音したり、高山植物を観察する楽しみを味わっている。本書には、知っていると山が何倍も楽しくなる鳥や植物も紹介されている。

「山は登った後も楽しいんです。山の近くにはたいてい温泉があるので、下山後はお湯につかって疲れを流す。山、温泉ときたらソバもセットになっているもので、帰る途中でソバを食べる。至福のひとときですよ」

 経験を積み、山の気象を読めるようになった暁に初めて見ることのできる景観も紹介されている。例えば、八ケ岳の赤岳を嵐の中登る。山は嵐の翌日には好天になるという。その日は山頂につく頃までに雨もやみ、紅蓮の炎のような圧巻の夕焼けが見られたという。そして翌朝の空は深い紺碧の澄み切った美しさ。山に登らなければ出合えない絶景だ。

「僕は厳しい冬山やヒマラヤに挑むようなことはしない、ごく典型的な山登り好きのおっちゃんです(笑い)。だから誰でも僕ぐらいには登れるようになるはずです。本書を読んで山登りの魅力に気づいてくれたらうれしい限り。“山へようこそ”ですよ」

 これからの著者の楽しみは、山小屋でピアノを弾くこと。1年ほど前から練習しているドビュッシーの「月の光」を、月明かりに照らされた山小屋で弾きたいそうだ。本書は、山の楽しみは無限大であることを教えてくれる。

(中央公論新社 840円+税)

▽いしまる・けんじろう 1953年、大分県生まれ。日本大学芸術学部演劇学科中退。77年、つかこうへい事務所の舞台「いつも心に太陽を」でデビュー。俳優として活躍するかたわら87年から「世界の車窓から」(テレビ朝日系)のナレーションを務める。2018年からNHKラジオ「石丸謙二郎の山カフェ」がスタートしている。

【連載】著者インタビュー

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