「新橋パラダイス」村岡俊也氏
今もなお、戦後闇市から脈々と醸成されてきた混沌がひろがり、昭和のにおいが色濃い新橋駅前ビルとニュー新橋ビル。再開発計画で失われようとしているこのディープなビルに通いつめ、その全貌と情緒あふれる人間模様を記録したルポだ。帯には「最後の秘境」とある。
「いまだに通うたび『えっ、何ここ?』と驚く発見があるんですよ。本に書いた、裏通りのマッサージ店の間にポツンとあるフラメンコ教室もそうだし、この前は会員制の喫茶店らしき謎の扉を見つけました。きっとまだまだ面白い店や逸話が潜んでいるだろうし、これを読んで『君はまだここまでしかたどり着いてないのか』と言う人もいるでしょうね(笑い)」
ニュー新橋ビルの2階だけで70店舗もあるテナントから、両ビルの約30店舗を取材。怪しげなブローカー勢と純喫茶巡りの女の子たちが混在する喫茶店、ひしめく中国系マッサージの客引き、癖の強い飲み屋、政治家も通うビーフンの名店、風俗店、雀荘、金券ショップなど、異業種と雑多な人々が入り乱れるビル内部の描写は、まさに闇市のごときカオスだ。
「ディープで謎だらけですが、店の人もお客さんもみんな優しいし、基本的に明るく健全な町だと取材した皆さん口を揃えます。1億総中流の時代にごくまっとうな中間層が集った雰囲気が、今も受け継がれているからでしょう。マッサージの客引きや『スペシャルあるよ』の誘いも嫌ならきちんと断ればいいだけだし、マッサージ嬢も話してみると日本語が堪能だったり、子どもを店先で遊ばせていたり、実はいろんな人がいますよ」
本書は、こうしたビルで働く人たちや客たちの人生模様にも触れていく。80代の今もビル内のワンルームで暮らす郷土料理店の女将、新幹線で週6日スナックに通う常連ら、濃い人生ドラマの数々に驚かされる。
「何度も通ううちに、『あのお店が面白いよ』とか『こんな人がいるよ』と人から人へ数珠つなぎになって、気づいたら自分も傍観者ではなく、町の物語を紡ぐプレーヤーになっていました。僕みたいに新しく入ってきた人が関わることで、町は新陳代謝されていく。再開発が嫌なのは、そうやって脈々とつながってきたものがバツンと断ち切られてしまうからです。かつて戦争で断ち切られた新橋は、闇市からようやくここまでつながってきたのに、戦争でもないのに壊してしまうのは悲しすぎます」
ニュー新橋ビルはすでに再開発準備組合が立ち上げられ、早ければ数年以内に解体が始まる。新橋駅前ビルも権利関係の整理を進めており、コロナの影響で遅れることはあっても、計画が白紙に戻ることはまずないだろうと著者は言う。
「再開発で計画的に品よく整理された町って、そこで何をするかあらかじめ決まっている感じがあります。でも、ごちゃごちゃして、よくわからない町こそ面白い、わざわざ行く価値があると思うんです。それに、いろんな店がごちゃまぜで、そこにいる人たちの目的がよくわからない場所は、実はどんな人にとっても居心地がいいんですよ。受け入れてくれる、多様性が認められているということなので。そういう意味でも、新橋は優しい町なんです」
本書にノスタルジーや好奇心を刺激されたら、どこから「秘境入り」するといいのだろうか。
「ビーフン東かな、おいしいですし。でも行き先を決めずに、自分の嗅覚を大切にして行くのがいいと思います。食べログで検索なんてなかった往年のカンが、きっと蘇ってきますよ」
(文藝春秋 1600円+税)
▽むらおか・としや 1978年生まれ、鎌倉市出身。中央大学法学部卒業。「BRUTUS」「翼の王国」など雑誌媒体を中心にライターとして活動する。著書に「熊を彫る人」「酵母パン 宗像堂」がある。