「ルポ 新大久保」室橋裕和氏
「新大久保が好きで歩き回っているうちに、単なるコリアンタウンではないことがわかってきたんです。韓国人以外の外国人も多く、活気があって、東南アジアの下町のよう。もっと知るには実際に暮らしてみるしかないと思い、引っ越しました」
著者は新大久保に住んで約3年。なんと人口の35%もが外国人(大久保1・2丁目、2020年7月現在)という街・新大久保の実像を内側から捉え、まとめた。
コリアンタウンとして知られる新大久保の大通りには韓国の店が立ち並び、週末になると、若い女性を中心に、身動きができないほどの人出となる。しかし、その賑わいから少し離れると、別の顔が見えてくる。実は新大久保に住むのは韓国人だけではない。ここは移民の街であり、日本有数の国際都市なのだ。特に多いのがネパール人とベトナム人。ここ10年で大きな変化があったという。
「きっかけのひとつが東日本大震災でした。放射能を恐れた外国人、とくに留学生がいっせいに帰国した時期があったんです。当時、新大久保の外国人留学生といえば中国人と韓国人が大部分を占めていたので、その穴埋めとして、日本政府は、東南アジアや南アジアに目を向けるようになった。海外志向の強いネパール人やベトナム人を対象にビザの要件を緩和したことで、両国の人が増えていったんですね」
そんな新大久保で、いま新たな一大勢力をなすのが若いベトナム人である。ガールズバーを開いた若きママは、すぐに大阪出店をもくろみ、ベトナム人のたまり場となっているカフェ「エッグコーヒー」のオーナーは、故郷の味よりビジネス優先で、韓国レストランをオープンした。本書では、“癒やしの国”からやって来たベトナミーズの商魂たくましい姿も活写する。
「彼らには儲けてやろうという熱がありますね。そういう意味で、新大久保はビジネスチャンスの街。中でもベトナム人は元気で、よく勉強し、働くんだけど、一方で、全国的にベトナム人による犯罪が増えていて、それは問題だと思っています」
現在の新大久保の様子だけでなく、著者はその過去も追う。新大久保の多国籍化の歴史は、日本人住民と外国人との軋轢の歴史でもあり、“外”からは見えない、日本人住民たちの葛藤と諦め、共存への取り組みも丹念に取材している。
「韓国人が増えたのは2002、3年からなんですが、最初は相当トラブルがあったと思います。住宅街にいきなり韓国の店が多数できたわけですから、騒音、臭い、酔っぱらい、ゴミと、むちゃくちゃな状態だっただろうと。そこから10年かけて、ルールをつくって、歩み寄って、どうにかやってきた。今は、外国人に店舗や家を貸すときはこういう注意が必要といった共通認識ができていて、それほどトラブルは起きてません。今後、日本には外国人が増えていくと思いますが、その過程で必ず通る道を乗り越える経験とノウハウが、新大久保にはあると思います」
新大久保は風景も他の都市とは随分と異なる。稼いだ金を本国に送る「送金会社(リミッタンス)」がコンビニより多く、24時間営業のスーパーにはアジア食材やスパイスが並び、街を歩くと外国人の「心のインフラ」といえる台湾の廟、ヒンズー廟、モスク、韓国の教会に出合う。著者はネパールの食堂で定食を食べ、江戸時代まで遡って新大久保の歴史をひもとき、児童の6割が外国由来という大久保小学校の取り組みを取材。さらに、コロナによる混乱をリアルタイムに追い、紹介する。
「3・11と違って国に帰れないこともあり、日本でふんばるしかないという一蓮托生ムードが街にはありました。今は海外旅行に行けませんから、新大久保で世界旅行はどうでしょう(笑い)。大通りから一歩、脇道に入ってもらえると、面白いと思います」
(辰巳出版 1600円+税)
▽むろはし・ひろかず 1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。著書に「日本の異国」「バンコクドリーム」、「おとなの青春旅行」(共編著)、「海外暮らし最強ナビ・アジア編」など多数。