「電車は止まらない」松本時代著
2018年、まだ見ぬ世界を写す旅に出た著者は、たどりついたバングラデシュで衝撃の光景を目にする。電車の屋根に乗って移動する人々だ。
当時のバングラデシュは、都市開発の真っただ中で、壊されていく古いビルと新しく出来上がる街の真ん中を、使い込まれてぼろぼろの電車が屋根に無賃乗車の人々を乗せて爆走していた。
現地の人々に交じって1年半、400回近くも電車の屋根に登り続けてきた著者によるフォトエッセーだ。
誰もが一人で屋根に登れるわけではない。先に登っていた青年が、少年に手を差し伸べ、助けを求めるおじいさんを少年と青年が引き上げ、下では数人がその尻を支え持ち上げる(写真①)。屋根が汚れていれば新聞紙を持っている人が近くの人に分け与え、床が抜けていれば周りに注意喚起する。
こんな助け合いの連鎖によって、あっという間に電車の屋根は「満員」になる。
そして電車が急カーブに差しかかると、振り落とされないように隣人同士が支え合う。知り合いでもないのに助け合うそんなバングラデシュ人の国民性がとても印象的だったという。
線路脇にがれきが積み上げられた古い街区、人々の暮らしが車両すれすれに迫るスラムのような地区、そしてどこまでも続くジャングルなど、人々を乗せて爆走する電車の屋根から見える風景が並ぶ。
どの写真も風景が飛ぶように後ろに流れていき、屋根の上で感じる強烈な向かい風や暑さ、そして舞い上がるほこりまで伝わってくる(写真②)。
毎日毎日、ひたすら電車の屋根に登り、行く当てのない「旅」を続ける中でひと時の友情をはぐくんだ。窃盗団のリーダー、ドゥクや水売りの少年シュハク、それに駅で声をかけてきた30年近く日本で働いて帰国したというジョニさん。そして真夜中に疾駆する特急電車の屋根の上で月あかりを頼りに狂ったように踊る青年(写真③)ら、出会いや思い出をつづる。
もちろん、主に貧困層が利用する電車の屋根の上はいつも楽しく快適とはいえない。
夜、暗闇の中でナイフを突きつけられて財布を出すよう要求されたり、目の前で少年が振り落とされて死んでしまうような体験や事故もたびたび起きる。
ジョニさんによると、ニュースになるのはわずかで、毎日、電車から落ちて何人も死んでいるという。自らも、雨の日に屋根から滑り落ちて両脚を捻挫するなど生傷が絶えない。それでも電車は止まらない。しかし、次第に法規制と取り締まりが強化され、2020年1月、ついに誰も電車の屋根には登らなくなり、著者の「旅」も終わる。
さらに、高度経済成長期にある同国では、新しい鉄道の建設が急ピッチで進められており、まもなく著者らが乗っていた旧路線はすべて廃止されるという。
変貌を続けるバングラデシュの、もう二度と見ることができない「風景」を記録した貴重な写真集だ。
(芸術新聞社 2530円)