倹約家のダンディ坂野「ブレーク翌年で“貧乏芸人”扱いにはメゲた」
芸人の仕事が入り、やっと食えるようになったのは30代半ば。ひとつのバイトをやめずにやってきたので、芸人もやめずに続けられたのかもしれません。ネタでは「マックの店から“社員にならないか”と誘われた」と言ってますけど、実際には誘われてないです(笑い)。
つらかったのは、ワッとテレビに出たその後でしたね。翌年には「今、どうですか? 貧乏でしょ?」的な感じで聞かれて少しメゲました。さらに数年経つと、番組のオファーが「昔の伝説の芸人」ってパターンなんですよ。だいたいは「浮き沈みの話をしてください」(笑い)。そういうバラエティーが増え、僕はピン芸人の中でもベテランだから最初に名前が挙がるみたいです。でも、僕を含めて一時期テレビを賑わせた「一発屋」を集めた番組で、「スケジュール真っ白です」とか「給料明細がこんなに薄くて」って話をしますけど、それなりに営業が入ってる人もいる。だってその手の特番に出させてもらうと、また営業に呼んでいただけるので(笑い)。僕はもともとマイペースなので、あまり忙しすぎるより、今のほうが精神のバランスはいいんです。
物欲もないし、倹約家。だけど若手にはおごりますよ。「おい、今日飲みに行くぞ!」って、いきなり誘うタイプじゃなくて、僕が前もって候補の日にちを3つくらい挙げて、いつもの4~5人の若手全員にメールし、みんなが来られる飲み会にします。で、終電が近い時間になったら、「これを分けて帰ってね」とタクシー代を渡す。「自分がやってもらったらうれしいことを後輩にしよう」と思い、後輩には苦労がないようにしてる。いつも集まる後輩はちゃんとおつりとタクシーの領収書を持ってきます。まるで会社みたい(笑い)。