秋吉久美子 元祖プッツン女優から「演技派」までの波瀾万丈
72年、映画「旅の重さ」(松竹)の一般公募に応募して、自殺する文学少女に扮して本名で映画初出演。大学受験に失敗後、予備校通いをしていた時にアングラ劇団にのめり込む。「秋吉久美子」の芸名で松本俊夫監督の「十六歳の戦争」で主演デビュー。74年、藤田敏八監督の青春映画「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」(ともに日活)に立て続けに主演。70年代を象徴する言動が続き、「シラケ女優」と呼ばれた。
男性遍歴のほうはシラケどころか、かなり激しく熱い。草刈正雄や矢沢永吉らと浮名を流したあと、24歳だった79年にフォークグループ「青い三角定規」の元メンバー・岩久茂と結婚。芸能界初の“できちゃった結婚”だった。
結婚後も藤井フミヤやホストらとの交際が騒がれ、89年に離婚。直後に、5歳年下の空間プロデューサー・山本コテツ氏と息子も一緒に同棲するも破局した。99年に17歳年下のアイルランド人の英語教師・ポール氏が住む沖縄に住民票を異動して同棲。だが02年に破局。
04年12月、今度は息子より若い26歳年下の日系2世の映像クリエーター、グレン氏と入籍、わずか半年余りで離婚。母の病気、他界など不安定な日々が続いたが、一段落ついた06年2月、グレン氏と再婚した。同じ相手と2度結婚も、芸能界でも珍しいだろう。