「花燃ゆ」陰の主役 松陰が最も信頼寄せた楫取素彦の生き方
そこで出会ったのが、1つ年少の吉田松陰である。2人の結びつきの太さは、楫取が松陰の2人の妹と結婚したことでも分かる。最初の妻が次妹・寿で、彼女の死後に久坂玄瑞の未亡人だった末妹・文と再婚したのだ。
「楫取は維新後、足柄県参事、群馬県令などを歴任。当時としては長命の83歳で亡くなりましたが、若くして亡くなった松陰に代わり、最後まで彼の大望を実践した人物でした」(中村氏)
■松陰が託した孟子の言葉
政治家として彼は“100年先を走っていた”とも評されている。
まず、子供たちの教育制度の整備。まだ義務教育すら理解されていないような時代に県民を説得し、幼稚園、小中学校、女学校などを設立。就学率を全国トップレベルに引き上げた。群馬県は現在でも、全国学力テストで上位に顔を出す県だ。
次に地方の独立。富岡製糸場に代表される製糸業を奨励し、独自の産業を興した。今まさに「地方創生」が叫ばれているが、すでにこの時代に自主的な行政を目指している。