家賃7000円さえ払えず親肩代わり…廣木隆一監督の赤貧時代
バレンタインデー公開の大人のラブストーリー「娚の一生」など、話題作でメガホンを取り続ける廣木隆一監督(61)。いかにして今のポジションを得たのか。映画監督は男の夢のひとつだが、道のりは平坦ではなかった。
御茶ノ水に「アテネ・フランセ」という語学学校がありまして、そこで「映画技術美学講座」を受講していた友達について講座に潜り込んだのが、始まりといえば始まりです。寺山修司さんに興味があって、講義を聴きたくて行ってました。
福島県郡山市から上京し、2浪して大学の国文科に在籍していたんですけど、国文学に興味があったわけでもなければ、将来何をしたいという指針もなかった。しかし、そこに来てるほかの学生たちと出会って、それまで見るものと思っていた映画を作ることができるんだっていう可能性が出てきたんです。
でも、どうやって映画監督になるのかなんて、大学の就職課に行っても教えてくれませんよね。それで友達と脚本を書いて、大蔵映画に持ち込んだんです。「映画を作りたいんですが」って。「だったら、まずは助監督になりなさい」って現場を紹介してもらい、中村幻児監督らの下で雑用というか、見習になりました。「3年経って、監督になれなかったら諦めろ」と言われたんですけど、じゃあ、取りあえず3年、頑張ってみようかなと思いました。20代が主人公の青春映画なら、60歳の監督より俺たちが撮った方が近いし、いい作品が撮れるって思ってました。ピンク映画の世界には若い監督がいっぱいいましたからね。