水谷ケイが語る 「ギルガメ」までの家出生活とキャバ嬢時代
16のとき、家出しました。小5で「おニャン子クラブ」を見て以来、芸能プロに片っ端からデモテープを送ったりしていたんですけど、物の見事に全部駄目で。車屋をやっている父からは「高校を出てからにしろ」って言われたんですけど、それまで待てなかったし、遅いって思ったんです。着の身着のまま、バッグひとつでした。青森発東京行きの夜行列車の窓から友達に手を振りながら、親に見つかって連れ戻されないかとひやひやしていたものです。
東京では、新聞の求人で住み込みできるところを探し、市ケ谷のパスタ屋さんに行きました。ところが、住み込みも寮完備もない。店長の手引きでなんとか中板橋のアパートに仮住まい。でも、仕事しながら歌のレッスンを受け、半年くらい経った時、都会に押しつぶされたというか、どっこにも縁もなにもなくて、地元に戻ったんです。やっぱり駄目かなって。
バブル末期の90年代とはいえ、高校中退に仕事があるほど、甘くはないですよね。それで東京に行くというひとつ年上の先輩と駆け落ちするように、またやって来ました。
遠くから、青森市内の実家で、草むしりしている母の背中を見ただけ。寂しかったけど、前に進みたい気持ちが上回ってた。