ヒロミとカップ麺分け合い…デビット伊東が語る下積み生活
ただ、食事は何とかなっても、水泳コーチのアルバイトだけではやっぱり生活できないので、新宿のアイスクリーム屋さんでも、1年ぐらいアルバイトしてました。そこも時給600円。チップをくれるお客さんもいましたけど、それでも足りない。仕方ないので「オスカル」時代にひいきにしてくれた女性たちがプレゼントしてくれた洋服とか時計を質屋に持っていって売ったりしていました。金のネックレスは5万円くらいになりましたっけ(笑い)。
笑って言ってますけど、心苦しかったですよ、ほんと。幸い「オスカル」がつぶれた後、半年くらいで六本木の「バナナパワー」というショーパブのステージに立つようになり、月20万~30万円稼げるようになった。
さらに、半年か1年ぐらいで事務所が決まってテレビに出て……と売れていったので、金がなかった期間は短かったんです。周りもみんな金なんて持ってなかったし、ボクは夢に向かって走っていたから、金がないのが当たり前、カッコイイぐらいに思っていた。だからつらくはありませんでしたね。
▽デビット伊東