踏み絵を迫られた末の独立騒動 SMAPはどこで道理を誤った
【連載コラム「芸能界クロスロード」】
アイドルグループはいずれ「解散」という宿命を背負いながら活動している。SMAPの先輩になる光GENGIもシブがき隊も解散してきた。一線で活躍しているときは、「解散」などみじんも考えないと聞くが、ピークが過ぎた時、「コンサートの客の入り具合。後輩の台頭などを見た時、人気が落ちてきたことを感じ、解散が脳裏をかすめる」という。
だが、SMAPの解散は人気とは関係のない事務所の独立が発端であった。解散は自分勝手には決められない。メンバー全員の意思確認はもちろん、なによりも意見に重みをもつのがアイドルの生みの親である。SMAPにおけるジャニー喜多川社長に当たる。解散に限らず大事な相談事は社長に話すのが業界常識。しかし、SMAPには育ての親のI女史もいた。結果的にI氏の存在が今回の騒動をややこしくした。
「アイドルは結成して4年までに売れるかどうかをひとつの“メド”にする」という。SMAPも結成して4年目に売れ出した。この立役者になったのが、マネジャーを担当するようになったI氏。以後、破竹の勢いでSMAPを不動の人気者にした。本来、マンネリ化や慣れ合いを防ぐため、マネジャーを替えるものだが、I氏が続けて手腕を振るい、SMAPは人気だけでなく稼ぎの面でもジャニーズ事務所の屋台骨を支えるまでになった。