中卒で上京…船木誠勝の原点は母の3万円と親父への反発心
両親が離婚してからは、母親と8歳下の妹と3人で2間のアパート暮らし。1間を自分にくれて、もう1間の居間で家族が食事して、夜は母親と妹がそこに布団を敷いて寝てました。食べるだけで精いっぱいのギリギリの生活。それなのに中学入学時には父親から「入学祝いだ」と請求書が送られてきたそうです。
中学2年の進路指導の時に、卒業したらプロレスラーになると言ったら母親に反対されました。親戚からも反対されたけど、唯一、祖父が「決めたんだから気が済むまでやらせろ」と言ってくれた。それから新日本の入団試験を受けて、3回目で合格。当時は人気があって、何十人も応募者がいて狭き門だったんです。
母親から3万円をもらって上京し、世田谷区上野毛の寮での生活が始まりました。8畳の部屋に2段ベッドが2つあり、4人で寝泊まり。1年間はひとりで外出禁止で、毎日トレーニングと掃除、洗濯、炊事など雑用をするだけの生活です。でも、中卒は自分だけだから、みんなかわいがってくれて楽しかったですよ。
母親からもらった3万円には手を付けませんでした。団体から月3万円が支給され、食事は寮に付いていて、服は先輩がお下がりをくれたし。入団した次の年の3月に15歳11カ月の当時史上最年少でデビューしてからは月15万円ももらえるようになり、毎月10万円を実家に仕送りしていましたね。