小島一慶さん<4>「笑っていいとも!」の司会を依頼された
はた目には、大きなチャンスを逃したような気もする。小島さんと同い年の久米宏とみのもんたは早々に独立。それぞれ、「ニュースステーション」「午後は〇〇おもいッきりテレビ」という看板番組を担っていた。
一方、小島さんがオファーを蹴ったことで、1つ下のタモリは、当時の二線級のタレントから飛躍していく。
「自己分析してみると、僕はテレビには向いてなかったかな……。テレビはどう映るかが必要であって、僕は普段、しゃべるときにそんな意識はしないですからね。みのさんのようにオーバーアクションもできないし、そういう意味では根が真面目なのかもしれないですね」
そんな小島さんだが、女性絡みのスキャンダルもあって、テレビから姿を消したことがある。
小島さんは少し沈黙してから当時を回想する。
「ケセラセラで、なるようになったとしか言いようがないですね。やはり人生に“たら・れば”はないと思う。ただ、あのままテレビの世界にいて、それこそ冠番組なんかをやっていたら、立ち止まって考えることもなかったろうし、西葛西で俳句の先生なんかもやっていなかったでしょう。それこそ、生徒さんのために毎回、今川焼きを25個も買って持っていくこともなかっただろうし、生徒さんから旅行のお土産をいただくこともなかった。人生の巡り合わせって、そういうもんじゃないでしょうか。なにより、あのまま平々凡々といっていれば、僕は傲慢な人間で終わっていたと思う」