「オレは最初からわざわざ穴をあけた服は好きじゃなんだ」
忌野清志郎の画力は、「ぼくの好きな先生」(1972年)のモチーフとなった高校時代の恩師、美術の小林晴雄氏によって早くから認められていた。美大進学についても、周囲の誰もが疑っていなかったのではないか。
RCサクセションのベーシストで清志郎の竹馬の友である小林和生(リンコ)から聞いた回想を、片岡さんは語る。
「高校時代、清志郎さんは油絵、リンコさんは彫刻を目指して、国立市のデッサン教室に通っていた。木炭デッサンは消しゴムに食パンを使うそうですが、清志郎さんはおいしいと評判のパン屋まで出かけて、人気のフランスパンを使ってたんですって(笑い)。画家気取りで、ベレー帽もかぶり始めて(笑い)。独特のユーモア感覚でしょう? 美術の部室では、自分でピンク色に塗った白衣ならぬ、“ピンク衣”を着たり、通学に使っていた50㏄のバイクの右側と左側を色違いに塗って、『行きと帰りで、違うバイクに見えるだろう?』と自慢していたり、かなりの奇想天外ぶりです」
清志郎のこだわりはグッズ制作にも表れた。制作には必ず関わり、出来上がったグッズは自らもよく着用していたという。