「約束」のささやくような甘い声は睡魔が原因だった?
1994年に設立された清志郎念願のプライベートスタジオ「ロックンロール研究所」(ロッ研)。そこに一番足しげく通ったのは、ミュージシャンの三宅伸治(57)だろう。
三宅は清志郎より10歳下。81年、長期免停中だった清志郎の運転手兼付き人になる。
「私と三宅くんは、ほぼ同時期にRCのスタッフになりました。当時の清志郎の車は『雨あがりの夜空に』にも歌われたようにかなりのポンコツ。次の車もポンコツ。長いツアーから帰ったら、青空駐車してた車が子どもたちの遊び場になっていたとか、止めてた空き地が道路になっちゃって、車を移動させようとチョークレバーを引いたら抜けてしまった、とか(笑い)」
RC全盛期、ローディーを辞め、自らのバンドに専念しようと悩んでいた三宅は、「俺は友達になりたいんだ、三宅」と清志郎から言われ、その言葉に背中を押されたと語っている。
その後も三宅はギタリストとして清志郎と共同作業を続けた。
「2003年リリースの清志郎のアルバム『KING』で、三宅くんはプロデューサーとしても活躍してるんです。ふたりは夕方、ロッ研に集まって、あーでもないこーでもないと音を作って、朝方に録音を終え、三宅くんは通勤の波に逆らって家に帰る、という毎日だったそう。ラストナンバーの『約束』は、『ささやくような甘い声ですね』と清志郎さんに言ったら、『歌ったのが朝方で、眠くてそのまま寝てしまいそうだった』と。『コーラスの三宅の声がまるで敷布団のようだった』と笑ってました。三宅くんはそれを受けて『せめて掛け布団とでも~』と答えてましたよ」