優しい大家さんはガンコ婆に 実体験を巧みに詞をアレンジ
数々の名曲を生み出した忌野清志郎の作詞については、興味がつきない。名曲「スローバラード」(1976年1月)がシングルリリースされる前、74年から75年にかけて、RCサクセションは事務所のトラブルに巻き込まれ、仕事を干されていた。
その後もレコードリリースはすれど鳴かず飛ばず、低迷期は79年ごろまで続いた。まだファンのひとりであった片岡さんは、後に当事者から聞いた話を語る。
「清志郎さんは国立にあったリンコさんの部屋の隣に引っ越していたそうです。古い平屋の一軒家、リンコさんと清志郎さんの部屋のみで、草が生い茂った空き地を挟んで隣家が離れていた。そこでバンド仲間と昼夜おかまいなしに練習をした。夜中にウッドベースと生ピアノでセッションしたり、明け方、エレキギターをアンプに通して大きな音で弾いたりしていたら、当たり前ですけど、その隣人が激怒して市役所にクレームを入れたんですって。大家さんは懇切丁寧なハガキをリンコさんの親御さんに送ったそうです」
ハガキにはこう書かれていた。