「いつも応援してくれてありがとう」と素直なメッセージ
忌野清志郎が、ギャラをもらって人前で初めてライブをしたのは1967年、新宿の音楽喫茶「フォークビレッジ」だった。ベースのリンコと、2歳先輩の武田清一(のちに「日暮し」のVO&G)の3人で組んだバンド、交通費程度のギャラだったという。
武田によると、「清志は緊張でガチガチに固まっていた」そうだ。清志郎は得意の漫画の中で、舞い上がって宙に浮いている自分を描いていた。
その姿を想像できないほど、初期RCサクセションのMCは、ファンを小バカにしたような辛辣な物言いが際立っていたという。RCファンが高じて、80年代にスタッフに就いた片岡さんに聞いた。
「私が初めてRCのライブを見たのは1973年8月12日、横浜公園野外音楽堂のイベントでした。ある夜、偶然聴いた一曲でファンになって半年。この日をどれだけ待ち焦がれていたか。RCは日が陰ったころ登場、清志郎はマッシュルームカットにハチマキを締めて。アコースティック編成だけど、サウンドはガシャガシャとロックのように荒々しかった」
初のヒット曲「ぼくの好きな先生」(72年)で人気が一気に上がった頃、会場は満員だったそう。