テレビは“使命”を思い出し、今こそ福島・辺野古に踏み込め
「何を運んでるんですか?」と聞いても黙ったままだ。ディレクターが横で、「お米でしょ?」って聞けばと指示した。「このお米、どこに持って行くんです?」と尋ねると、秋田からだという婆ちゃんが居直ったか、
「これはコシヒカリだべ、札幌の寿司屋に買ってもらうべな」
と。もう一人もほっかむりを取り、
「もう明日から『闇米』は運べないし、別にテレビに顔映っていいや。今日は警察に捕まらないさ」
と口を開いてくれた。その直後、取締官が最後の巡回にやってきたので、我らはカメラを止めて隠し、取材のお礼に婆ちゃんの横に並んで座り、知り合いのように話し、彼らが通り過ぎるまで芝居をして、その場をごまかしてあげた。
次の週、テレビは最後の連絡船を放送した。連絡船に愛着のある利用客のお別れコメントを紹介し、「やっぱり、涙の連絡船となってしまいましたよ。感動の旅でした」と、オレもスタジオで締めくくった。
道内の米作りがまだまだの時代。特上米など道内でわずかだった頃、「闇米」を密売するため、体を懸けて渡っていた婆ちゃんの顔は、ワンカットも映らないまま終わった。顔をボカして声だけでも流せばよかったのにとディレクターに言うと、上司から“連絡船は美しく終わらせよう”ということでカットされまして、と言われた。テレビマンよ、今こそ、汚染土がたまり過ぎている福島にも、基地にされる辺野古にも、踏みこんでいく時じゃないのか!