銀シャリ鰻和弘が語る 父の借金で取り立て続いた少年時代
■6畳二間に両親ときょうだい3人がギュウギュウ生活
住んでたのは4階建て倉庫の2階。大家さんは大工の親方で6畳二間に小さいキッチン、トイレと風呂がついた2Kでした。そこに両親と僕を含めたきょうだい3人の5人暮らし。
親父がリビング、僕らは4人で3枚の布団敷いてもうひとつの6畳間で寝てました。6畳いうても、たんすにファンシーケースやら家具もあって、実質4畳あるかないか。ギュウギュウですよ。
結局、僕が小4の時に両親が離婚。親父は追い出されるようにいなくなったんですけど、取り立てが来なくなったぐらいで、生活状態はほとんど変わりません。
家賃は僕が20歳の頃で2万円。15年ほど前でさえ、ありえへんこの値段。ありえへんのは大家さんのご厚意やったと思います。
それでもいつもお金がないから、ふすまが破れるとセロハンテープで応急処置。風呂の窓ガラスが割れてもセロハンテープ。真冬なのにガラスの修理ができず、冷たい北風がピューピュー入ってくるのには参りました。